冬のパリとその周辺の旅

2005年11月27日に日本を発ち、12月1日までパリ近郊の「田園地方観光ツアー」に参加。フォンテンブロー→バルビゾン→シャルトル→トゥール→ルマン→モンサンミッシェル→オンフルールへとバスで廻った後、パリに戻り、延泊して12月8日まで一週間パリに滞在した。出掛ける前月頃からフランス各地で暴動があり非常事態宣言が出ているとの新聞報道で心配したが、現地では全くその気配さえ感じられなかった。現地ガイドの話では日本からの問い合わせが多く日本のマスコミの過剰反応にむしろ驚いているとのことであった。

フランス田園地方観光ツアー
2005年11月27日10時に成田を発ち、当日の現地時間15時頃パリに着く。すぐにバスで66km離れたフォンテンブローに移動。移動中雲間から時々夕日がわずかに顔をみせるもののどんよりと曇っていて、ホテルに着く17時頃には日が暮れた。

ツアー中も殆ど同じような曇り空が多く、朝も8時頃にようやく明ける。日本出発時にかなり寒いと聞いていて、厚手のコートとマフラー、手袋を用意したが、旅行中ずっと手放せなかった。
今回のツアー客は13名で新婚カップル3組を含め若い人が8名。やはり毎日が日曜日の中高年はもっと季節の良い時期に旅行するのであろう。しかしその反面、冬は冬なりの風情があることと、どこの観光地も観光客が少なくゆっくりと見学することができた。
フォンテンブロー
バスから眺めるフォンテンブローの深い森は、丁度黄葉が散り始める時期を迎え、晩秋の風情を感じさせる。

ホテル到着後軽い夕食を食べに中心街まで散策。小さい街ではあるが、クリスマスの飾り付けが始まり、メリーゴランドやスケートで遊ぶ人々で賑わい、お菓子が並んだ商店街を見ているとフランスに着いたことを実感する。街の飲食店も大勢の人で賑っているが、皆飲み物しか飲んでいない様子で食事は断られてしまい仕方なくホテルでとる。後で知ったがフランスでは20時頃からようやく夕食が始まるとのこと。

翌朝は生憎の雨であったが、フォンテンブロー宮殿を見学。10世紀から歴代の王がフォンテンブローの森での狩猟を楽しんむための滞在場所であった。その後16世紀のフランソワ1世から約300年の間フランス国王の居城に使われてきた。

広い庭園は花も無くなりすっかり冬景色に変わっていて、立派な石造りの城も暗く寂しいものに感じられた。正面庭園は馬蹄形の階段があり、ナポレオンがエルバ島に流され時に近衛兵との別離に使われたという。
内部は華やかな壁画、天井画で飾られ、当時暖房を兼ねて石壁に掛けたというタペストリーも素晴らしい。フランソワ1世からナポレオンが使用した部屋までの展示があり、フランス歴史のおおよその流れを知ることが出来た。

(スケートを楽しむ人々)

(商店街のパティッセリ)

(フォンテンブロー
宮殿)

(ナポレオン別離の庭)
バルビゾン 雨も止みフォンテンブローから約14km離れたバルビゾンへ。ミレーの絵に出てくるような田園風景がどこまでも続き、バスの中からこの辺りで「晩鐘」を描いたのだという説明を受けた。

ミレーがいたアトリエは小さな田舎町の街道沿いにあり、わずか2部屋と狭いが記念館となっていた。

(ミレーの作品が並ぶ
 アトリエ)
シャルトル


午後は約110km離れたシャルトルへ。世界遺産でも有名な大聖堂は街の中心に一際威容な姿でそそり立ち、徒歩で近付く観光客の目を楽しませてくれる。2本の尖塔は左右がロマネスク様式とゴシック様式の非対称となっている。

「シャルトルのブルー」で有名な内部のステンドグラスは案内書で紹介されているとおり素晴らしい。ガイドが1時間以上かけて、それぞれのステンドグラスの作られた経緯、その美しさを維持するために膨大な費用が掛かっていること等詳しい説明があり大変興味深く聞くことができた。

(大聖堂の遠景)

(大聖堂正面)

(内部ステンドグラス)
ロワール河古城めぐり トゥールに泊まり、翌日ロワール河流域に点在する古城のうちシャンポール城→シュノンソー城→アンポワーズ城と、3つの城を終日見学。夜は古城ホテルでのディナーを楽しんだ。


シャンポール城はフランソワ1世により建てられた塀の長さ32km、部屋数440と、この地方最大規模の城。城の上には暖房用煙突を兼ねた塔が林立している。設計はレオナルドダビンチと言われ、内部中央には彼が考案したという2重螺旋階段がある。上る人と下る人は顔が合わないよう交互に周回するが、互いの姿は見えるような構造となっている。


シュノンソー城はロワール川の支流の上に建つ美しい城。歴代の城主が女性なので「6人の奥方の城」とも呼ばれている。国王アンリ2世から寵愛され、2代目城主となったカトリーヌ・ド・ポワチエはその美貌を保つため毎日城下の川で水泳をして優雅に過ごした。しかし王の死後は、正妻のカトリーヌ・ド・メディシスにより城から追出されてしまう。城の優美な姿と対照的なこの愛憎劇は16世紀から今日まで語り継がれてきた。


アンポワーズ城はロワール川に面する高台に聳える。城のテラスからは川周辺の街並みが一望できる。
レオナルドダビンチが生涯を終えた館が近くに有り、彼の遺志でこの城に埋葬された。また、1560年に旧教徒が新教徒を大虐殺した舞台としても知られる。

城下の街を歩いていると、ユニフォームの上着を着た町の有志達がクリスマスの飾り付けに忙しく働いていた。

(シャンポール城)

(シュノンソー城)

(アンポアーズ城
背面の庭から)
ル・マンから
モンサンミッシェル

翌朝トゥールを出てル・マンへ向かったが、気温が零下まで下がり、濃霧が発生して景色が全く見えない。24時間耐久レースで有名なサーキット場を見学したが、何も見えないのでお土産屋に立寄った後、早々にバスへ戻った。

その後ル・マンからモン・サン・ミッシェルに向け走っていると次第に霧は消え、一面に霜が降りモヤがかかって幻想的な風景に変わり、田園の冬景色を堪能することが出来た。道路左右の落葉樹は自身の葉を落としているものの、鳥の巣のようなボール状になった緑の宿り木が無数に付いていて、独特の風景を創り出していた。こちらではクリスマス時期の宿り木は縁起が良いものと言われているらしい。

途中ガイドブックにもあまり載っていないブルターニュ地方の古城(フージェル城)を訪ねる。正に古城と呼ぶにふさわしい地方色のある質素で風格のある城であった。


昼頃モンサンミッシェルに着き、島が見える手前のレストランで名物のオムレツを食べる。この地方では塩田が有り、売店ではお土産用に塩を売っている。又この地方の牧草地で育った羊をプレ・サレと呼び美味として珍重される。

昼食後は島との連絡通路をバスで渡り、登り口で下車。宿泊予定の島内の宿に荷物を置き、高さ78メートルの岩盤の上に建てられた修道院を見学した。

修道院全体は3層構造になっていて、基礎部分は岩盤上に大きな石柱を立て支え、寺院の壁の厚さは3メートル程もある。
中庭には瞑想のための美しい回廊があった。

本格的に建設が始まったのは966年とのことだが、狭く不安定な岩盤の上に巨大な寺院を完成させた当時の建築技術や、現在のような連絡堤防はなく、水、食料の運搬が極めて厳しい土地での修行など、驚嘆させられることが多かった。

我々が見学した時は島の周囲の干潟は駐車場となり、360度見渡す限り、どこからが海なのか分からない浅瀬となっていた。大潮との干満の差は7mとのことだが、連絡堤が出来たために次第に砂が溜まり、現在のような状況となってしまった。周囲の砂を取り除く環境修復工事が2003年から始まっているとのことだった。

夜は修道院全体がライトアップされた。写真ではうまく撮れず残念だったが、周囲の厳しい寒さと雨空に映えて、何とも言えない幻想的な風景を醸し出していた。

(落葉樹と宿り木)

(ブルターニュの古城)

(遠方から見た
モンサンミッシェル)

(修道院上から見た
連絡提)

(修道院中庭の回廊)

(ライトアップした
モンサンミッシェル)
オンフルール

翌日は、ノルマンディー上陸作戦で名高い、ノルマンディー地方をひたすら北に走り、11時頃セーヌ川河口の港町オンフルールに着いた。
オンフルールはセザンヌ、モネ等印象派の画家やモーパッサンやボードレールなどの文人に愛された街でもある。

ヨットが停泊している街並みなどの港の風景を見ていると、どこかの印象派の絵で見たような気がしてくる。


街の中心にはフランス最古の木造建築のサン・カトリーヌ教会と鐘楼がある。経費を安くするため当時の造船技術で建てられたと言う。

街を歩いていると学校の授業なのか、元気そうな子供達に出会う。声を掛けたら、沢山の子供が写真撮影に参加してくれた。

昼食は皿に山盛りのムール貝のワイン煮が出たが海に近いだけに美味であった。

昼食後は約200km離れたパリへと向かった。

(オンフルールの港)

(白いクリスマスツリーで飾った街並み)

(フランス最古の木造
の教会)

(オンフルールの子供達)

(昼食で出たムール貝)
パリ滞在記
1日目

午前中はあらかじめ聞いていた地下鉄の切符の買い方、乗り方を調べたり、銀行での資金作り、パリ観光案内所での情報集め等で歩き回った。

午後はルーブル美術館を見学。日本語のガイドフォンを借りたが、何と身分証明になる物を代わりに預ける必要があることが分かり、しぶしぶカードを預ける。悪用されないかずっと心配していたが、幸い大丈夫の様だ。

館内は比較的空いていて、どの作品も正面で見ることができた。小学生らしい子供達は床に座って先生の説明を熱心に聞き勉強をしていた。

ミロのビーナス、モナリザなど主だった彫像や絵を探しては見ているうちに午前中から歩き続けていて疲れ果てる。美術館内のビュッフェで休みをとりホッとした。その後は絵を見る気も失せホテルに戻り休憩。

夜は妻の誕生日でもあり、予め本で調べて地元客に人気があるというレストランを訪ねる。地下鉄を乗り継ぎ、漸く辿り着くと予約客で満員と断られてしまう。当て所も無くセーヌ川沿いを歩き、漸く中華レストランに入ることができた。

(ルーブルのピラミッド)

(ミロのビーナス)

(絵画の前で授業を受ける子供達)

(ルーブルから見たカルーゼル凱旋門)
2日目
午前中リュクサンブール公園からサンシュルピス教会を見学。

公園内には現在フランス国会上院として使われているリュクサンブール宮がある。正面に有る大きな泉を囲む遊歩道には、かってのフランスの王妃や王女の60体以上の彫像が並んでいる。マリード・メディシスが自分の生まれたフィレンツェのピッティ宮殿を模して造ったという。

マロニエの落ち葉が舞う庭園内では、時々小雨が降る曇り空の中、早朝のジョギングを楽しむ人々がいた。


庭園を横断して少し歩くと最近「ダヴィンチコード」で特に有名になったサンシュルピス教会に着いた。正面左側の塔は工事中であったが内部に入る。「ダヴィンチコード」に出てくる「ローズライン」は良く分からなかったが、ドラクロアの描いたフレスコ画を鑑賞した。


昼までにはツアーで宿泊していたホテルへ戻り、荷物をまとめて帰国まで滞在する予定のモンパルナスのホテルへ移動。



午後は再び街に出て、ノートルダム寺院とセーヌ川が見渡せるカッフェ「パニ」で道行く人々を眺めながらゆっくり昼食をとった。評判という日替わりキッシュは売り切れていて残念だった。

昼食後目の前にあるノートルダム寺院を見学。パリ滞在中このノートルダムには妻の希望もあり、オルガン演奏を聞くなどで4回も訪れることになった。


帰りは夜景を見ながら朝来たリュクサンブー公園周辺を通り、歩いてホテルに戻る。
途中歩道沿いにライトアップした美しい写真が展示され、歩行者の目を楽しませていた。こんな所も実にパリらしい。

(リュクサンブール庭園、
遠景はパンテオン)

(落葉舞う公園内の風景)

(サンシュルピス教会)

(歩道に展示の写真展)
3日目

日曜日のため午前中はノートルダムのミサに出た。その後、周辺の市を見てから、ポンピドーセンターで現代アートを見学。

ノートルダムでは、クリスチャンでない私は妻の仕草を見よう見まねでミサに参加。数百人いるミサ客と一般観光客は入口が違い、広い寺院内も専属の係りが手際よく観光客とを分けて、式を進めていた。


休日のため街ものんびりした雰囲気で、近くの広場ではクリスマス市が開かれたり、雀や鳩を餌付ける人等も見掛けた。




ポンピドーセンターは国立近代美術館と図書館などが入ったデザインのユニークな総合芸術センター。裏手の図書館の入口には勉強熱心そうな百人以上の学生風の若者が順番を待って並んでいた。
我々は正面にある透明なパイプ状のエスカレーターで最上階まで登る。ここからの眺めはパリの街が一望出来て素晴らしい。
美術館は難解な様々な現代アートが展示され、疲れてとても全部は見切れなかったが、さすが芸術の国フランスという印象は強く持った。


センター周辺では大道芸人が芸を見せ、広場の噴水にもアートの装飾があり、楽しい。

昼はバスティーユにあるカフェ「ディヴァン」を訪ね昼食をとる。若い地元客で大賑わいで、本に紹介されていた通り、鴨肉のサラダはボリュームがあり、これだけで満腹となった。

午後はクープランのオルガンで有名なサン・ジェルベ・サン・プロテ教会を訪ねる。ここではノートルダムの大音響のオルガンとは正反対の静かで美しいコーラスのミサが行われていた。

16時半からは再びノートルダムに戻りオルガン演奏会に出席した。あまりのオルガンの大音響にはやや辟易となる。




夜はセーヌ川沿いのの夜景を楽しみながら、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを通り凱旋門まで散策。噂に聞いていたクリスマスの飾り付けは白色のネオンだけなので見事ではあるが意外とシンプルな印象を持った。

(ノートルダム寺院)

(クリスマス市)

(雀に餌をやる人)

(ポンピドーセンター
入口)

(屋上から見たパリの街)

(大道芸人と
パントマイム)

(ポンピドーセンター
近くの噴水アート)

(パリ市庁舎と噴水)

(シャンゼリゼ通りの公園)


(シャンゼリゼのイルミネーション))
4日目 午前中パンテオンを見学の後、久し振りの晴天の中、ソルボンヌ大学のあるカルチェラタン地区を散策した。
パンテオンは昔、パリの守護聖女ジュヌビエーヌを祀った教会だったが、今はフランスの自由に貢献した偉人の埋葬所となっている。建築物としても美しく見応えが有り、地下にはルソー、ヴォルテール、ヴィクトルユーゴ等著名人の立派な墓があった。

カルチェラタンの大学街地区は、アカデミックな中にも落着いたパリらしい雰囲気の古い街並みがある。

セーヌ川まで歩き、4回目のノートルダムに立寄り、ステンドグラスを再鑑賞。その後、同じシテ島に有って対照的でパリ最古のステンドグラスを見るためサントシャペルへ行く。壁を最小限に鳥かごのようにして周囲をステンドグラスで埋め尽くした特徴ある美しい礼拝堂であった。

その後オペラ座(オペラ・ガルニエ)内部を見学。内部天井や大理石装飾が美しい。
2000席以上の大観客席の天井にはシャガールの描いた天井画と7トンのシャンデリアが飾ってあった。

オペラ座近くの中華料理屋で昼食後は家内の楽譜購入に付き合ってサン・ラザール駅近くの音楽専門店へ。


夕方、地下鉄の終点でパリの西北端にあるラ・デファンス地区を訪ねた。
ここは都市開発のモデルとして、しばしば取り上げられる前衛的高層近代建築が建ち並ぶ場所。中心には新凱旋門グランド・アルシュがある。底が抜けた巨大な箱を横に立てたようなユニークなデザインのオフィスビルになっている。屋上の展望台から眺めると、コンコルド広場から凱旋門を通ってこの新凱旋門までがきちんと計算された直線で設計されている。しかも余計な建物が無く遠方までが一望できる。フランスでは都市開発も100年単位の計で行われ、思想も一貫していることが良く分かる。日本も少しは見習いたいものである。
帰りの地下鉄は17時過ぎとなり、日本並みのラッシュに遭遇、市街からこの新興オフィス街へ通勤するサラリーマンが多いらしい。

(パンテオン内部)

(カルチェラタンの脇道)

(サントシャペル礼拝堂)

(オペラ・ガルニエ正面)

(新凱旋門屋上から凱旋門を眺める)

(デファンスの新凱旋門)

(オペラ座内部)

(オペラ座観客席の
天井)
5日目 午前中オルセー美術館を訪ねたがストライキで閉鎖のためマルモッタン美術館を見学した。

オルセー美術館については、パリに到着時にストライキの情報は入っていたのでホテルのコンシェルジェで確認しOKとのことで、開館前に並んだ。開館時間になると大勢の行列が出来たが、何時まで待っても開かない。一旦は受付係が席に着くが、直ぐにいなくなり、1回だけの放送と周囲の状況でストライキらしいことが分かる。突然ストライキをし、詳しい説明や謝罪の言葉が無いのもいかにもフランスらしい。
諦めないで待つ人達も大勢いたが、先を急ぐ我々は次のマルモッタン美術館へ。

マルモッタン美術館はブーローニュの森のはずれ、パリ16区高級住宅街の一画にある。個人の邸宅を美術館にし、モネの作品を中心に展示している。客も少なく、椅子に腰掛ながら落着いた雰囲気の中で、貴重な数十点のモネの絵を思う存分鑑賞でき、至福の時を過ごすことが出来た。
その後、住宅街近くのチョコレートやチーズ専門店のある商店街を散策。

午後は、プランタンやギャラリー・ラファイエットの並ぶデパートへ買い物に出た。各ショーウインドウは子供向けに工夫を凝らした動くオモチャ等が展示され、店内もすっかりクリスマスの装いとなっていた。夜にはクリスマスイルミネーションが輝き、観光客と家族連れなどで大混雑であった。

パリ滞在も最後に近付いたので、再びセーヌ川沿いの夜景を楽しみ、三ツ星シェフがオーナーで値段も手頃という川沿いのビストロで食事をした。しかし、店内では現地勤務の社用族らしい日本人男女のグループ客が大声で我が物顔に談笑、折角の店内のムードを壊し、恥ずかしく不愉快な思いにさせられたのは残念であった。

(オルセー美術館の
開場を待つ人々)

(マルモッタン美術館)

(16区のチーズ専門店)

(シテ島付近からのエッフェル塔)

(セーヌ川の
クルージング船)

(ギャラリーラファイエットの
イルミネーション)

(ギャラリーラファイエットの
店内)
6日目
午前中はダウンし、ホテルで休養。
夜中に寒気がし、翌朝妻に体温計を買って来て貰い、計ると38度。午後15時から中西画伯宅を訪問する約束になっているので、解熱剤を飲んで午前中は安静にすることにした。


午後には熱も下がり、この旅行のハイライトとなる中西繁画伯のお宅を訪問した。

中西繁画伯とは1年半前に横浜のフランス語講座で知り合った。その後約1年前からパリのモンマルトルで絵の修行を始めていたので、連絡を取り、今回訪問できることとなった。

住居はモンマルトルの丘にあり、約100年前ゴッホが弟のテオと住んでいたアパートを借りて住んでいる。旅行案内「地球の歩き方」にも載っているので分かりやすく、地下鉄アベス駅を降りてしばらく歩いたルビック通り沿いに有った。
途中モンマルトルの街は子供達がクリスマス装束に飾ってパレードの準備をするなど、すっかりクリスマスムードで盛り上がっていた。

中西邸はアパート入口の予め教わった暗証番号付きの2つの扉を開け、狭い螺旋階段を登った3階に有った。
前日まで1週間ニューヨークで仕事をして戻ったばかりというのに暖かく迎えて頂き感激する。
内部の部屋は、ゴッホの寝室であった部屋をアトリエにし、弟のテオの部屋を寝室として、内装を一新して自分の好みの飾り付けをし、快適な単身生活を送っている様子だった。

窓から見える景色をゴッホが描いた絵と比べながら説明して頂いたが、当時の面影はあるものの、その後新しい建物が建っているので、100年前とは随分変わっていた。

暗くなる前にモンマルトルの丘を歩きながら一周し、画家達が愛した風景や建物を説明して頂く。
無名の画家達が集まり、絵を売っているテルトル広場では、寒いのに多くの画家達が絵を描いていた。


帰りには中西さん自ら普段買いなれた店に立ち寄り、焼きたてのフランスパンや、新鮮な牡蠣や魚を買い求め、帰宅後画伯手作りのディナーをご馳走して頂いた。
家内共々大満足し、素晴らしい思い出を作ることができた。

(クリスマスパレードの
準備する子供達)

(左はモンマルトルの坂道に有る画家達のアトリエ)

(テルトル広場の画家)

(サクレクール寺院
前で中西画伯と)

(夕暮れのサクレクール
寺院)

(中西邸でのディナー)
7日目 午前中はお土産等の買い物を兼ね、いくつかのパッサージュを見て廻ってからパレ・ロワイヤルへ。

パッサージュはビルの谷間にあり、ガラス屋根で覆われたパリ独特のアーケード商店街。割合高級な専門店が多く、きれいなクリスマスのイルミネーションで飾られていた。

パレ・ロワイヤルはルイ14世が幼年時代を過ごしたという。中庭の周囲は今では小さな商店が並ぶ回廊となっている。珍しい小物を扱う店が多いということで行ってみたが、高級過ぎてやや期待はずれであった。



夕方18時過ぎの飛行機で帰国予定だが、ロンドン経由で不慣れのため、昼食後早々にホテルに戻り、預けた荷物を受取りドゴール空港へと向かった。

(パッサージュ内部)

(パレ・ロワイヤル)