イタリアの小さな町をめぐる旅

 2010年11月3日〜14日の12日間、イタリアのトスカーナ地方とその周辺の「小さな町をゆったりバスでめぐる」というツアーに参加した。
ツアー客14名で大型バスを借り切り、ミラノからローマ までの6都市に宿泊しながら、12の観光地を廻った。
晩秋のイタリアの美しい田園風景、ヨーロッパ中世時代の雰囲気が残る街、おいしいワインと食事、などを十分堪能することができた。

 ロンバルディア州
          
ミラノ
 前日の夕方ヘルシンキ経由でミラノに着く。今回はミラノの観光はできないが、早朝バス出発前の時間を利用してホテル近くのインドロモンタネッリ庭園を散歩した。 庭園内にはミラノ自然史博物館がある。

庭園内の自然史博物館

広大な庭園には池もある

木々はすっかり黄葉し美しい
 エミリア・ロマーナ州
      
 ブッセート
 イタリアオペラの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディの生地を訪ねる。ベルディはブッセート市のはずれにあるロンコレ村に生まれ、生家の前にある教会で洗礼を受け、幼少時には同教会の地元オルガニストに学んだ。

ヴェルディの生家は村の旅籠も兼ねていた

ヴェルディが学んだ村の小さな教会

当時のオルガンがそのまま残されている
    

パルマ
 
 パルマ近郊のポレジーネ・パルメンセ村にある高級生ハムの熟成所「クラテッロ・ディ・ジベロ」へ。「クラテッロ」とはポー川流域特有の湿った気候で熟成されるパルマ特産の生ハム。この地方で育てられた豚の後腿部のみを豚の膀胱に詰め、約1年間熟成させると独特の風味が出る。熟成所では、パルミジャーノ・レッジャーノ」(地方名が付いたイタリアチーズの王様)も作っていた。それ等の貯蔵庫やクラテッロ製作の実演を見学。その後、ランブルスコ(この州特産の発泡赤ワイン)と一緒にチーズやサラミを試食した。
昼食は徒歩10分程離れたレストランへ。ツアー会社の粋な計らいでクラテッロとチーズ、赤白ワインの食べ、飲み放題となり、ツアー客全員の気分が一気に盛り上がった。

クラテッロの熟成所は古城を使用した建物の中に在った

クラテッロは湿温が管理された暗所に数え切れない量吊り下げられ保存されている

約2年間熟成保存されるパルミジャーノ・レッジャーノチーズ

豚肉を豚の膀胱に詰め、ヒモで手際良く縛る実演を見学

昼食の前菜で出たパルメザンチーズがたっぷり入ったトルテッリ

レストラン前で。 おいしかったので隣の売店でチーズ塊を1kgお土産に買い込んだ。
 トスカーナ州


ルッカ
 
 古代エトルリア人が開いた街で、BC180年頃からローマ人が住む。11世紀以降、織物と金融業で栄え、フィレンツェ共和国と並ぶ勢力で独立を維持した。防備の城壁はローマ時代から拡張を繰り返し、16〜17世紀の4回目の改修で大砲に耐えるよう土台幅約30mに造られた。城壁に囲まれた旧市街は、中世の美しい街並みを今に残している。 ルッカは音楽家プッチーニの生誕地でもある。

左側の城壁に沿って右側には、すっかり黄葉したルッカ平野が続く

旧市街を囲む約4.2Kmの城壁は、今や街のシンボルで、市民憩いの遊歩道でもある

正面はビザンチンモザイクが美しい12世紀に建てられたサン・フレデリアーノ教会

ローマ時代の円形劇場跡に住居が次々に建てられ、楕円形のアンフィテアトロ広場

14世紀に建てられたグイニージの塔の上は展望台になっていてルッカの街が一望できる

約一千年前に建てられたドーモ。ファサードはロマネスク風多様な形の柱で飾られている
 
フィレンツェ
  
 フィレンツェではずっと自由行動。到着した夕方、ホテルからドゥオーモまで散策。紙専門店でフィレンツェ伝統のマーブル紙の実演を見て買い物をする。今回は2回目の訪問なので、翌日は各場所での見たいものを一つに絞り、残った時間は気ままに街を歩くこととした。午前中はサンマルコ美術館(フラアンジェリコの受胎告知)、アカデミア美術館(ミケランジェロのダビデ像)、メディチ家礼拝堂(ミケランジェロの彫像)を見学。午後はフィレンツェの街が一望できるドゥオーモのクーポラに上る。ドーモ内見学後は中央市場からヴェッキオ橋まで中心街を縦断して散策。翌3日目の出発日の朝は、全員バスでフィレンツェが見渡せるミケランジェロ広場に立ち寄った。

マーブル紙の実演。左側にあるプラスチック容器内の水の上に絵の具をたらし、かき混ぜてから紙に転写する

白、ピンク、グリーンの大理石で飾られたドゥオーモの先にクーポラがあり、463段の階段の上は展望台となっている

 大聖堂の前にある八角形の洗礼堂。ミケランジェロが「天国の扉」と名付けた金色の扉の前には観光客が集まる
 
大聖堂のクーポラから眺めたフィレンツェの街

ヴェッキオ橋からの眺め

彫像が並ぶシニョリーア広場と、かってフィレンツェ共和国の政庁舎だったヴェッキオ宮

ミケランジェロ広場の高台から眺めた朝もやのフィレンツェ
サン・ジミニャーノ  
 「美しい塔の町」と呼ばれているサン・ジミニャーノでは13世紀〜14世紀に貴族達が富と権力の象徴として競い合って高い塔を建てた。当時は70以上あったという塔は、現在14塔だけ残っている。16世紀になり、町や街道が戦略上の拠点から外れると急速に寂れ、戦争などに巻き込まれる事も無く、町並みはそのまま残ることとなった。城門の入口から徐々に広くなる、なすび型をした街は縦1km、横500m。周囲が城壁に囲まれ、石畳や建造物は当時のままの姿を残している。

フィレンツェから50km程進むと、緑のトスカーナ平野の高台に塔の町が現れる。

 正面のサンジョバンニ門をくぐると景色は中世の街に一変する。

 入口のサンジョバンニ通り。両側には猪の肉、ワイン、革製品、ジェラートなどの商店が続く。

かつてはこの町の重要な水源だったチステルナ(井戸)広場。

 ドゥオーモ広場と教会。左側は高い塔のあるポポロ宮

城壁から眺めた、町並みとトスカーナ平野。遠く一面に黄葉しているのは葡萄畑。
 シエナ
 フィレンツェから60km程離れたこの町の歴史は古く、ローマの建国の祖で狼に育てられたロムルス・レムス兄弟の息子により建設されたという伝説から、街のあちこちに雌狼の像が飾られている。中世になると交通の要衝として商人と銀行家によって栄えたが、軍事面では常にフィレツェとライバル関係にあり、芸術面でもシエナ派というスタイルでルネッサンスのフィレンツェと肩を並べるていた。
我々は、到着後カンポ広場から市街を一周するように歩きサンド・メニコ教会、聖カテリーナの家、ドゥオーモなどを見学。シエナは2回目の訪問だが、世界一美しい広場と言われるカンポ広場やフィレンツェ大聖堂をしのぐ大規模な聖堂建設をめざし中断したというドゥオーモには前回とはまた違う印象と感動を持った。結局シエナには二泊し、ここを拠点に昼間は次の目的地ピエンツァとモンテプルチアーノの町へと出掛けた。夜の自由時間には旧市街を散策。この地方で採れるトリフの料理を求めて、入ったレストランでのパスタは絶品だった。

扇型をしたカンポ広場とマンジャの塔、右側はプッブリコ宮(市庁舎)。広場の周りではパリオという競馬が年2回行われる。

シエナは三つの丘からなるが、その一方の上から眺めたシエナ旧市街と大聖堂。

町の中心の高台にあるドゥオーモ。14世紀に現在の入口を変更する大規模拡張工事が進められたが財政上から中断した。

ドゥオーモ内部。床や内外部に使われている白と暗緑色の大理石の組み合わせが素晴らしい。

ドゥーモ内にあるピッコローミニ図書館のフレスコ画。法王になったピオ4世がピントリッキオに描かせた。美しい絵が鮮明に残っている。

土産物店のパリオ祭を描いた旗。シエナは17の地区に分かれていて、地区毎に旗があり、旗(Palio)を振りかざしての裸馬競技が行われる。
 ピエンツァ
 
 シエナから約55km離れたこの町は、15世紀に法王ピウス2世が故郷をルネッサンス建築様式の理想の都市に作り替えようとしたことで知られている。法王の死により計画は完成に至らなかったが、当時の都市計画の姿がそのまま残されている。町自体は極めて小さく、東西に門があり、それを結ぶ400mのロッセリーノ目抜き通りに主な観光場所が集中している。今回は生憎の雨になったので、ドーモ周辺観光と雨に霞むオルチャー渓谷を眺めた後は、昼食まで目抜き通りの商店内やバールで時間をつぶすことにした。昼食は庭園の美しいレストランでこの地方特産のペッコリーノチーズのスフレとウサギ肉のパスタを食べた。

入口の門を潜ると、この町を設計した建築家ロッセリーノの名前の通りに繋がる。

 この町の中心のピウス2世広場と大聖堂。左右にはピッコロミニ宮とボルジャク宮がある。

 城壁沿いのカステッロ通りから大聖堂への眺め。

絶景と言われるオルチャの谷も残念ながら雨で霞んでいた

ロッセリーノ通りの商店街にはこの地方特産のペッコリーノチーズとオリーブオイルが並ぶ。

 昼食を食べたレストランの中庭。
 モンテプルチアーノ 
 ピエンツァを出発するころには雨も上がり、バスの中からオルチャの谷の景色を楽しみつつ14kmほど進んだ高台にモンテプルチアーノの町があった。この町はそのまま赤ワインの名称として日本にも知られている。城壁で囲まれた旧市街は人口2〜3千人の小さな町だが中世の建物がそのまま残っている。我々はグランデ広場周辺観光と高台からキアーナ渓谷を眺めた後、早速カンティーナ(ワイン倉庫)に入り、ワインを試飲した。

バスから眺めたオルチャ渓谷。黄葉したブドウ畑と牧草地が続く。

 グランデ広場にある市庁舎。フィレンツェの市庁舎に似ている。

 グランデ広場にある大聖堂。外部は素朴な作りだが、内部の祭壇が美しい。

モンテプルチアーノから眺めたキアーナ渓谷の一面の葡萄とオリーブ畑

 収穫されたオリーブの実。紫色の実は緑色の実が木で熟して変色する。

 カンティーナでの試飲会。特にお勧めというVino Nobile(高貴)を飲んだが、残念ながらタンニンが強く口には合わなかった。
 アレッツォ
紀元前のエトルリア時代から栄えたこの町は小さな田舎町だったが、近年になりルネッサンス絵画の傑作として見直され修復された「聖十字架伝説」 のフレスコ画や映画「ライフイズビューティフル」の撮影舞台になったことから、一躍観光客が押し寄せるようになったという。また一方ではルネッサンスの時代にフィレンツェやシエナに次ぐ中心地であって、フィレンツェのウフィッツィ美術館を設計した建築・絵画で有名なジョルジョ・バザーリやイタリア三大詩人の一人フランチェスカ・ペトラルカ、音階ドレミファの発明者グイド・モナコ、等の出身地としても知られている。
我々は到着後すぐにサン・フランチェスコ教会を訪れ「聖十字架伝説」の詳細説明を現地ガイドから受けた。その後昼食まで、ドゥオーモ、市庁舎、グランデ広場などを見学。午後は自由時間となったので、一旦新市街のホテルに戻った後、再び旧市街へ徒歩で戻り夕食までゆっくりと市街を散策、歴史を感じる落ち着いた雰囲気のこの街にすっかり魅せられてしまった。

サン・フランチェスコ教会。正面ファサードは未完のままの姿だが、内部には絵画史上重要とされるフレスコ画「聖十字架伝説」がある。

 坂道の多いアレッツォの中で一番高い位置にあるドゥオーモ。

 グランデ広場と宮殿。広場で毎月開かれる骨董市と9月に開かれる馬上槍突き競技は有名。

昼食を食べた旧市街で人気の地下レストラン。

新市街から坂道を登ると旧市街へと入る城門がある。

 旧市街を暗くなるまで散策。正面はサン・ドメニコ教会
ウンブリア州

  
アッシジ
 
 アッシジは12世紀の清貧の聖人サンフランチェスコの生誕地であり、カトリック教徒の巡礼の地ともなっている。アレッツォから115kmほどウンブリア平原を進むと、前方の小高い丘の上に忽然とアッシジの美しい町並みが現れる。今回はアッシジ旧市街に宿泊のため、バス停からは全て徒歩の観光となる。ホテルに荷物を置き、コムーネ広場、ミネルバ神殿跡を見学した後、上下院に分かれたサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画を鑑賞した。その後は自由行動となったので、夕食の暗くなるまで旧市街をのんびりと散策し、街の雰囲気を十分味わうことができた。

オリーブと杉木立に囲まれた丘の上のアッシジの町。山頂には城砦がそびえる。

バス停から丘を上って行くと、サン・フランチェスコ聖堂の美しい柱廊が見えてくる。

サン・フランチェスコ聖堂のファサード。聖フランチェスコの生涯を描いたジョットのフレスコ画も見ることができる。

ドゥオーモ広場からの山頂の大城砦の眺め。

サンタ・キアーラ聖堂。聖フランチェスコの弟子、聖女キアラの名は女子修道会キアラ(クララ)会となって今でも奉仕活動が続いている。

夕方になり観光客も少なくなった市街サン・フランチェスコ通り。
ラッツィオ州
       
  ロッカンティーカ
 アッシジを発ち今回の最後の目的地のローマへ行く途中、昼食休憩をかねて、ロッカンティーカにある有機野菜専門のレストランに立ち寄った。山腹に囲まれた緑と花が溢れる広大な敷地に在り、観光客は我々だけだったので、2,3時間おいしい空気を吸いつつ、今迄の市街観光と違う開放感で、のんびり過ごすことができた。

バラが満開だが木々は黄葉していた。

 レストラン「LA TACITA」とその庭。

 オリーブの木の下でのんびりと過ごす。
 ローマ
 
 ローマには夕方に着き翌々日の出発までは自由行動となった。今回でローマは3回目となるので、バチカン宮殿、パンテオン、フォロロマーノ、コロッセオを再度見学する以外は、目的を決めず市内を歩き、ウインドウショッピングをしながら買い残した土産を探すことにした。

ローマへの高速道路。街に入るまでは良く整備されている。

サン・ピエトロ大聖堂内部。

大聖堂内にあるミケランジェロのピエタ像

バチカン宮殿を護るスイス衛兵と神父

 ポポロ広場の彫像。ローマの広場などには至る所に素晴らしい彫像が置かれている。

 パンテオンの内部。

ヴェネッツィア広場のヴィットリアーノ。イタリア統一を記念して1911年に建てられた。

 フォロ・ロマーノ。遺跡全体は壁で囲われ、敷地内を歩くだけでかなり時間がかかった。

 コロッセオ。時間切れで内部見学ができず遺跡のセット入場券が無駄になってしまう。